フランソワ・ペルゴが来日したのは、
日本がまだ混乱の真っ只中であった江戸時代末期の不安な時代だった。
自国の誇りとする時計技術、スイス時計を広めるために、
現在の横浜中華街にあった、外国人居留区の一画に商館を置く。
これが正規スイス時計販売のはじまりである。
当時、時計はまだ未知のものであり、
時間を知るよりむしろ宝飾品としての意味合いが強かったようだ。
しかし日本も明治維新をさかいに、新橋〜横浜間に鉄道が開通し、
西洋化が進む。
さらにグレゴリオ暦の採用にて日本でも時間を
正確に把握することが必要となった。
駅や公共施設には時計が当たり前のように取り付けられるようになり、
この頃からF.ペルゴの会社は軌道に乗ることになる。
スイス時計を広めるべく精力的に活動していたフランソワ・ペルゴだが、
享年43歳という若さの志半ばで息を引き取る。
日本に初のスイス時計をもたらしたF.ペルゴは、現在も、彼が愛してやまなかった横浜山手の
外国人墓地で静かに眠りについており、傍らには小さな墓がひっそりと寄り添うように建っている。
F.ペルゴの娘ではないかといわれている。
フランソワ・ペルゴに敬意を表し、2007年「ww.tcフランソワ・ペルゴ」が日本限定で発表。
続く2008年には「ヴィンテージ1945フランソワ・ペルゴ」が発表となる。
1791年、ジャン・フランソワ・ボットは、19歳という若さで時計を初めて製作した。
世界でも稀少なジラール・ペルゴのマニュファクチュール(自社一貫生産)におけるルーツは、
この瞬間から始まったといえる。
名声を得た創始者ボットは、時計産業・文化という計り知れない価値の財産を後世に残していくこととなった。
1852年、コンスタン・ジラールはジラール社を設立して二年後、マリー・ペルゴと結婚し、
二人の姓を組み合わせたジラール・ペルゴ社を1856年、ラ・ショー・ド・フォンに誕生させる。
ジラール・ペルゴ社としての名声は、数年間で瞬く間に世に広まることとなった。
1945年には、アールデコからインスピレーションを得たレクタンギュラー(長方形)のモデルを創作し、
このモデルが50年後、復刻モデル“ヴィンテージ1945”と命名されることとなった。
ヴィンテージ1945はジラール・ペルゴのベストセラーモデルでもあり、
現存する機械式時計の最高峰と言っても過言ではない逸品といえる。
「マニュファクチュール」(自社一貫生産)の製品とは独創的な作品に対する総括的な技量概念を示す。
この独創性はデザインへの情熱と熟練した技術の、両者の調和から成り立っており、
この理念をモットーにジラール・ペルゴは大・小のコンプリケーションや様々なムーブメントの生産など、
研究開発作業に日々、全力投球している。
その結果、時計製造産業界でも独自の草案やムーブメントを持つ貴重な存在となっている。
【ジラール・ペルゴ(ソーウインド ジャパン株式会社)】
TEL:03-5211-1791(代) URL:http://www.gp-japan.co.jp
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